ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
挿話その十七「落日の時」





 セルフィーユのフネが去って、一体幾日経っただろうか。
 包囲の輪は徐々に狭まり、その日、ニューカッスル城はついに最後の時を迎えようとしていた。
 レコン・キスタ地上軍の包囲はロンディニウムでの死戦を戦訓に取り入れたのか、堅固な陣地構築を繰り返しながら各部隊が徐々に進軍するという、時間は掛かるが被害の少ない作戦を採っていた。それを多数の戦列艦や竜騎士が援護するのだから、一方的な展開は当然と言えよう。……もっとも、それに抵抗する余力は王党派には既になく、夜中に嫌がらせの砲弾を降らせて安眠を妨げたりするのが精々だった。
 王党派に残るはこの城のみ、次の戦が控えているのでいらぬ被害を出せばそちらに影響すると、レコン・キスタの司令官は見ているのだろう。
「最早これまで……と、何度思ったかのう?」
「はてさて、儂も数えておりませなんだな」
 ジェームズ王はワインで喉を潤しつつ、チェス盤の歩兵を一つ、前に進めた。
 うむむと唸った老侯爵は苦し紛れに騎士を前に出し、迎え撃つ。この御仁、チェスは下手で有名だが、こと外交に限っては名人と知られていた先々代の外務卿であった。
 それを見ていた外野の老貴族達は、あれやこれやと次の一手を講釈しては口論を繰り返している。少し離れた場所には老婦人達のテーブルも用意されており、時折聞こえる砲撃の音を祭りの花火に準えて、思い出話に花を咲かせていた。
 老人達も先ほどまでは城の頂部で防空に当たっていたのだが、敵の突入が始まって竜やフネも城から離れたのでこれにて打ち止めと戻ってきていたのだ。流石に味方もろとも攻撃するという破廉恥は、敵の司令官も思いつかなかったらしい。

 城内中央部にある玉座の間には既に火薬樽と油樽が積み上げられ、いつでもその時が迎えられるよう準備が整えてあった。
 城の爆破には思うところがなかったわけではないが、誰が生きていて誰が死んでいるか分からなくするには都合がよい。報告に慌てる叛徒どもの首魁たちの顔を思い浮かべるのも、悪い気分ではなかった。
 既に指揮を云々する段階は越えている。
 敵兵が予め決められた線を越えるたびに平射姿勢で設置された散弾砲が放たれて血の河を作り、後が無くなれば堀や城門や塔を爆破して行くだけの単純な作戦だった。それぞれの起爆装置には贅沢にも忠臣を一人必要とするが、魔法装置を用意する余裕はどこにもないのでこれは仕方あるまい。
 敵の総攻撃とやらが始まって既に半日、寡兵よく持ちこたえたわけではなく、敵が被害を局限しようとして慎重に攻めているからだと理由は分かっている。
 城内からは散発的に反撃を行っているものの、一つの罠で可能な限りの敵を誘うためのものであり、繰り返しになるが……戦果を云々する段階もとうに越えていた。
 『イーグル』と『イプスウィッチ』を敵艦隊への夜襲や補給路襲撃に使い、城の側も積極的に混乱を煽る戦力を出していたなら、ここまで押し込まれる状況をもう少し先延ばしに出来たかもしれない。
 代わりに両艦へと乗せる戦力は減り、その後の継戦能力を極端に奪ってしまうことになる。城を保たせる努力よりフネを長らえさせる道を選んだ判断が正しいかどうかは、この先の歴史が証明するだろう。

 幾度目かは分からぬ爆発音が、玉座の間を揺るがした。今度はかなり近い。
「ふむ」
「そろそろですかのう……」
 物見に出ていた老伯爵が、年に似合わぬ早さで駆け込んできた。頭には近衛騎士が式典で被る羽根帽子を乗せ、王国最後の騎士を気取っている。……彼は十年も前に退役した、近衛騎士団の元団長だった。
「陛下!
 大ホールは見事、炎に包まれましたぞ!」
「うむ、ご苦労。
 ……これにて王手、かのう?」
「うぬっ!?
 陛下、待ったを……」
「済まぬな。
 待ったは、なしじゃ」
 にんまりと微笑んだジェームズ一世は盤面に目を戻し、メイジを敵陣に躍り込ませた。



 
 ほぼ同時刻、攻めるレコン・キスタ側の司令部は重い沈黙に包まれていた。
 特にニューカッスル包囲軍総司令官ダンスター伯爵の顔色と機嫌は、非常に悪い。
 敵は寡兵にして死兵と予め分かっていながら釣り合わぬ程の被害が出ており、勝ち戦であるにしてもとても喜べたものではない。
 特に何がまずいかと言って、トリステイン侵攻軍の総司令官サー・ジョンストンに戦果で水を開けられる可能性の高いことがまずい。
 侵攻路上には時折大砲が配置されていて散弾をばらまき、貴重なメイジを投入して攻略したかと思えば区画ごと爆破され……その繰り返しである。徴募兵の士気は元より低いが、目覆うばかりの惨状だという。
 次の戦、トリステイン侵攻作戦はニューカッスル攻略の目処が立ったことで、日取りまで決まっていた。戦勝の勢いをそのまま持ち込むのだと、議長より訓令が出ている。
 ジェームズ王あるいはウェールズ皇太子の身柄、あるいは死体を確保せよと言う命令も出ていたから、火力任せに城を押しつぶすことも出来ず、これではダンスター伯爵の機嫌が良いはずはなかった。
 
「伯爵閣下、上空の『レキシントン』より伝令であります」
「どうした?」
「ワレ弾薬残量心許ナシ。補給乞ウ。……以上であります」
「またか!?
 一昨日送ったばかりではないか?」
「『レキシントン』の大砲は通常の大砲の倍はある怪物砲、威力は大きくともその分火薬の消費も大きいのでありましょう。
 火薬はともかく、あの巨砲は専用弾。
 またロサイスより送らせるより他ありません」
 敵の射程外から撃ち下ろしが出来るので、昨日一昨日は他艦ともどもニューカッスルを砲撃させていた。……確かに威力は大きいが城が一撃で崩れたりするほどではなく、うすのろの見かけ倒しだとダンスター伯爵は断じている。サー・ジョンストンの旗艦にはお似合いだろう。
「もうすぐ本棟にも兵が手を掛けよう。
 『レキシントン』は下がらせよ」
「はっ!」
 どいつもこいつも役立たずだと、ダンスター伯爵が心中で愚痴を五回ほど繰り返した頃。
 本城に残っていた最後の尖塔が、土台もろとも巨大な火炎と爆煙に飲み込まれるのが見えた。
「おお、ニューカッスルが!?」
「突入した連隊に伝令を出せ!!」
 尖塔はゆっくりと傾いて、レコン・キスタの攻め口である城門側に倒れこんだ。
 続いての大音響に、天幕がびりびりと震える。伯爵のみならず、司令部付きの貴族達も耳を塞いだ。
 これでは総司令部の命令に反し、城ごと押しつぶしていた方がましだったではないか!
 ……とは、口に出来なかった。




「よし、こちらも出るぞ。
 『イーグル』に信号! 『貴艦の無事と任務の完遂を祈る』!」
「了解!」
 『イプスウィッチ』の艦上では、ウェールズ皇太子に扮した空軍士官『ウェンライト』が、秘密港まで響いてきた爆発音に一瞬だけ瞑目し、出航命令を発した。
 『イーグル』の艦上でも、やはりウェールズに扮した『ウィリアムズ』が地上に向けて敬礼している。
 既に船倉にはありったけの風石と食料が積み込まれ、出航の準備は数日前から出来ていた。
「空いたな。
 ……出せ!」
「アイサー!
 錨を上げろ! もやいを解け!」
 無論、乗組員達は『ウェンライト』や『ウィリアムズ』が偽の皇太子だと分かっていて、それに従っていた。見せ札としての偽皇太子はこの作戦の根幹、そして将来への布石なのだ。
 どちらの乗組員も、互いに相手の船倉の奥深くで身を隠しているフードの男こそが魔法具で姿替えをした本物だと『知っていた』。だからこそ、生き残りを第一としたそれぞれの任務は疎かに出来ない。
 秘密港の直下で別れを告げ、『イーグル』は北に、『イプスウィッチ』は南に進路を取った。

 『ウェンライト』の受け取った命令は、そう複雑なものではない。
 ニューカッスル陥落後に出航、機会を見計らってフードを被った男を降ろし、あとは南の秘密港を根城に『可能な限り場所と時間の間隔を開けて』三色旗を掲げた商船を食うだけだ。命令の優先順位は艦の生残が第一とされており、状況が許せばアルビオン奪還の連合軍に参加せよと、ジェームズ王より勅命も下っている。その時まで生き残れば、幾らかでも希望が見えてくるはずだった。
 『イーグル』にも似たような命令が出されていた。方向と活動範囲が違うぐらいで生残第一、どこかにいる『かもしれない』と思わせることこそが肝要と幾度も念を押されている。
 乗組員には拿捕あるいは撃沈されないことで本物のウェールズの安全が確保しやすくなると説明されており、苦難を乗り越え経験を積み、将来再建されるであろう王立空軍の中核になるよう希望すると勅諭も下されていた。

 『イプスウィッチ』の目的地は空中大陸の反対側、南西部の秘密港である。
 昼はのろのろと大陸の下を行き、月明かりがないようなら一気に距離を詰める飛び石式の航行計画だった。今はまだ、艦の存在を晒す時期ではない。
「包囲網を抜けたあたりですな」
「うん、そのようだね」
 本来の艦長にうむと頷いた『ウェンライト』は、大きく伸びをして背後を振り返った。転舵のくりかえしで方向が定かではないながら、ニューカッスルと思わしき方に姿勢を正してもう一度敬礼を捧げる。
「『殿下』、どうぞ中へ」
「後は頼む」
 出航半日、先は長い。
 最初の任務までは三日、最短の襲撃解禁までは二週間、その後、最低三年は苦行が続くと見積もられていた。

 急なラッタルを降りつつ、『ウェンライト』は考える。
 ここまで来たらやり通すしかない。
 ニューカッスルまでウェールズに付き従った、唯一の候補生同期として。
 親しみを感じさせつつも間違いなく王器を表した彼に、自然と跪いた当時の自分を信じて。
 何としてでも戦乱の終結まで生き残り、テューダー王家の再興を成し遂げるのだ。同時に出世と名誉もついてくるだろうが、それは後回しだ。貰って困るものではない。
 襲撃時に被る魔法のアイマスクを懐に確かめ、『ウェンライト』は気持ちも新たに司令室へと降りていった。









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