ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第五十四話「竜の威を借るトカゲ」





 目的を果たせず、かと言ってその理由が大国の綱引きの結果ではそれ以上の譲歩もさせられず、ステイプルトン男爵とリッチモンド卿は微妙な表情で、しかしながらあっさりと帰っていった。
「断られるのも予定の内だったんでしょうな」
「ですね。
 意外にセルフィーユは重視されているんでしょうか?
 密使の主がアーサーだとは思いましたが、ステイプルトン男爵もお飾りではなかったようで……」
「外交畑ではないと思いますが、私も多少以上の場慣れは感じました」
 捨て駒や素人ではない使者を差し向けてくるあたり、判断に迷うところだ。案外狙い目はそこかなと、フレンツヒェンとリシャールは溜息をついた。
 彼らの内幕までは想像するしかないが、セルフィーユを軍門に下す策謀はあまり重要ではないのだろう。こちらに理解できることを、レコン・キスタが検討していないはずもない。
 例えばセルフィーユを飛び地の補給港にしようとしたところでゲルマニアが黙っているわけもなく、時期が早すぎては禁じ手、あるいは全ての準備が整った後なら開戦の狼煙になってしまう。無論、国力差を考えれば腹も立たなかった。
「さて……。
 エルバート殿、如何でしたか?」
 リシャールは、壁越しに隠れていたエルバートと近衛隊の兵士に出てくるよう声を掛けた。仕掛け部屋ぐらい作っておけとは義父の入れ知恵であるが、こうして実際に使ってみるとなかなかに便利だ。場に呼べない人物を配しておけば、説明の手間が省ける。
「お見事でした、陛下。
 ですが、少々お伝えせねばならないことが」
「どうかされましたか?」
「ステイプルトン男爵は存じませんでしたが、アーサー・リッチモンドと名乗ったもう一人の男、自分はサイモン・トレンスとして見知っております」
「えっ!?」
「ほう……?」
「髪色はあれほどのブロンドではありませんでしたが、間違いありません。
 あ奴はスターリング侯爵家の家宰であった、サイモン・トレンスです」
 エルバートは内偵などの裏仕事もしていたから、主な要注意人物の顔と名前は頭に入っているらしい。
 彼の説明によれば、テューダー家が王家となる以前に元となる始祖の直系より枝分かれしたもう一つの王家、今は絶えたステュアート家に連なっていたグレンジャー侯爵家、スターリング侯爵家、ダンスター伯爵家などは数百年の遥か昔より常に警戒の対象で、叛乱後に三家ともレコン・キスタの重職を占めていると探りがついたあたりで、本国からの報告はロンディニウム陥落によって途絶えてしまったそうだ。
「私にしてみれば、陛下があ奴の顔を知っておられたことの方が驚きです」
「アルビオン航路を使う商人のまとめ役、という触れ込みでした。
 メイトランド殿に確認していただければ、間違いないと思います」
「もう半年気付くのが早ければ……いえ、それは言うだけ空しくなりますな」
「はい……」
 アーサー……サイモン・トレンスの名は覚えておいて損はないが、今はそれより話すべき事があった。
「さて、宰相、エルバート殿
 ……レコン・キスタの動き、どう見ました?」
「セルフィーユの様子見と、あわよくば引っかけてやろう……ぐらいの気楽な密使ではないかと。
 こちらの反応を見ることが目的であったようにも思えます」
「宰相殿の言に賛成です。
 譲歩を提案して油断させるか、若しくは次の交渉があると含みを持たせようとした印象は受けました。
 次の使者か、その直後が危ないと推察いたします」
「では、こちら側が取るべき対応はどうです?」
「ニューカッスルへの需品輸送と通商破壊は控えねば……いえ、この状況では断念せざるを得ないでしょうが、その他はこれまで通りでよろしいかと存じます」
「自分は激発を押さえるべく、努力いたします」
 よろしく頼みますと頷き、リシャールも応接室を後にする。
 今しばらくは大国の威を借り、レコン・キスタの要求はのらりくらりとかわすのがいいだろう。大した出費もなく、腹も痛まない。
 しかし彼らの言う開戦の準備が整ってしまえば、ステイプルトン男爵へと口にした通り、こちらが何を言ったところで無意味だった。
 『たまたま』セルフィーユ近くの公海上に演習か何かで出向いていたレコン・キスタ艦隊が、『急遽』開戦の命令を受けてこちらにくれば、素直に降伏するしかない。逃げるためのフネの数は足りているが、国の民を乗せている時間はないだろう。
 次の戦で真っ先に狙われるのはトリステイン、それも補給路として絶対に確保が必要なラ・ロシェール付近とセルフィーユでもトリステインでも見積もっているが、主戦場とは別にフリゲートの数隻でも分派すれば、あちこちに火の手を上げて混乱を煽り戦力の集中を妨げることもできる。
 その一つがセルフィーユでないとは、言い切れなかった。

 セルフィーユを翻弄した政治軍事経済の各状況がそれぞれに少しだけ落ち着き、小康状態に入ったかとリシャールにもようやく思えるようになった第三の月ティールの月の下旬、キュルケとタバサが春休みを利用してこちらに戻ってきた。
「陛下、只今戻りましたわ」
「ただいま」
「お帰り、二人とも」
 二人からは、クロードやルイズ、ギーシュらに預けられたという手紙を受け取る。彼らも一年の学生生活を終え、一回り成長しているだろうか。
「あら?」
「あ」
「どうかした?」
「髪の毛……切っちゃったの?」
「ああ、これね。
 空海軍の軍人と同じ髪型にしたんだ」
「……マリコルヌみたい。
 前の方が良かった」
「タバサ、その感想はちょっとリシャールに失礼じゃ……」
「あはは、元は同じだよ。
 彼も確か、空海軍志望だったね」
 リシャールはぽんと腹を叩いて見せた。もちろん、マリコルヌほどいい音は出ない。
「リシャールやカトレアも、学院に通えればよかったのに。
 ……今からでも遅くないわよ?」
「オスマン学院長にも同じ事を言われたよ」
 二人はリシャールに挨拶を終えると、アーシャに乗って城へと向かった。
 もちろん、それにつきあって城に戻るわけには行かない。
 来月頭には感謝祭も控えていたし、落ち着いたとは言っても予断を許さない状況に代わりはなかった。

 その少女達も一年を魔法学院で過ごし少しは大人になったかと思えば、リシャールを困らせて楽しむキュルケは相変わらずであった。タバサは彼女に任せたとばかり、膝上にマリーを乗せて母クリスティーヌと二人、絵本を読み聞かせている。
「あら、お祭りの責任者は市長で、リシャールは直接関係しないって聞いたけど?」
「まあ、そうなんだけどね」
 感謝祭を中止にする理由は特になかった。喪に服すというのも、何か違う。
 あれこれと探りを入れに来る密偵ぐらいはやって来るだろうが、下手に追い返そうとして拗れなければそれでいい。当日の警備はアルビオン将兵からも人手を出して貰って強化し、リシャールもこれ見よがしに近衛隊を連れ歩く方向で話を進めていた。
「それに二日前なら、リシャールは……ちょっと難しいかも知れないけれど、カトレアとマリーだけなら大丈夫じゃないの?
 さっき、予定はないって聞いたわよ?」
「確かに予定はないけど……」
「マリーも行きたいわよねえ?」
 キュルケは杖をちょいと振って、タバサからマリーを取り寄せた。
「……あ」
「マリー、使い魔さんいっぱい出てくるんだけど、一緒に行きたいわよねー?」
「いきたい!」
「ほら、マリーもこう言ってるし」
「ちょっと待ってってば」
 魔法学院ではその日、新二年生らによる使い魔召喚の儀式が行われるのだという。カトレアとマリーにも自分たちの晴れ姿を見て貰いたいという彼女たち希望は昨年ならば二つ返事で承諾しただろうが、戦支度さえ行われつつある今、果たしてどうだろうかという引っかかりも覚える。
「リシャール、駄目かしら?」
「カトレアまで……」
 前日に戻るなら、確かに問題は一切ないだろう。
 観艦式に使うフネは、残念なことに余っている。
「あー……明日、返事するよ。
 フネが出せそうか、ラ・ラメー艦長に掛け合ってみるから。
 駄目なら定期便で王都まで出て馬車に乗って貰うことになるけど、いいかな?」
「そうこなくちゃ!」
 キュルケからマリーを受け取り、じっと目を合わせる。……最近は行動範囲も広がってお転婆らしい。
「マリー」
「とうさま?」
「学院はお城じゃないから、母様の言うこと、ちゃんと聞いてね?」
「はい!」
 リシャールと違って政治的には表に出ないカトレアとマリーに、昨今の情勢下で忙しくなるような仕事はなかった。どことなく鬱とした気分の続く中、息抜きになるだろうなと思えてしまうところも始末が悪い。自分だけがアルビオンまで友達に会いに行って、彼女たちに行くなとも言いにくくある。ましてや隣国トリステイン、それも魔法学院ならば安全面ではまったく比較にならない場所だ。
 ラ・ロシェールより先にトリスタニアが火の手に包まれはしないだろうと埒もないことを考えながら、それでもフネを出す方がいいかなと、リシャールはマリーを抱き寄せた。

 翌日、今後の予定の確認ついでに空海軍司令部へと顔を出し、ラ・ラメーに相談を持ちかければ、彼は二つ返事で了承した。
「魔法学院までならば、お気遣いいただかずともお安い御用ですぞ。
 フネどころか、乗組員のやりくりの心配が無くなりましたからな。
 去年一昨年とは違います」
「そう言っていただけると助かりますが……」
 フネの手配も……今年はセルフィーユ海軍も奮発して、贅沢にも戦列艦を観艦式に使う予定であった。『ドラゴン・デュ・テーレ』を受閲艦として元からセルフィーユ空海軍に属していた『カドー・ジェネルー』、『サルセル』に加え、拿捕したコルベット『クライブ』、商船『マリオン・クレイトン』、艦名未発表ながらトリステインより招待艦が数隻、そして『アーデント』より風石機関を移植し他艦に優先して修理が行われた二等戦列艦『ウォースパイト』がアルビオン王立空軍艦としてではなくセルフィーユ王国艦として参加するので、万が一帰国が遅れ準備が間に合わなくても数の上では誤魔化しが利く。ちなみに『アーデント』の方は重量や出力特性などの問題から機関の種類を揃えた方がいいだろうと、ゲルマニアに発注した風石機関の到着を待っていた。
「『ドラゴン・デュ・テーレ』の貴賓室装備はどちらにせよ設置する予定でありましたし、前日中に帰国するなら、元より影響はありません。
 小官は流石に残りますが、トリステインの空であれば我が庭も同然、荒事になってもビュシエールとユルバンがいれば何とかなります」
 昨年は連絡無しに義父公爵がお忍びで来てしまったのを、リシャールは思い出した。
「それから使い魔を喚ぶ儀式らしいので、護衛も兼ねてアーシャを連れていってください。
 カトレアの言うことならよく聞きますから」
「陛下ご自身は、そちらにご臨席なさらないので?」
「……ちょっと無理ですね。
 強行軍になりすぎますから」
 新二年生九十人近くが参加する大規模な儀式と聞き興味はそそられたのだが、執務室に日々運び込まれる書類の量と前後の予定を考えると、気分はしぼんでしまった。来年以降に期待するしかない。
「そうでした、陛下。
 シャミナードが少しばかり面倒な話を持ってきましたぞ」
「なんです?」
「行き先がわからぬと報告を上げるのは躊躇ったようですが、トリスタニアの港にてお召し艦用の帆を掲げた『ラ・レアル・ド・トリステイン』を見かけたそうです」
「……あー」
 セルフィーユに来るとは限らないが、まったく無視して慌てるよりはましだろう。
「皆を慰労するお祭りの筈だったんですがねえ……」
「こちらに向けて出航するなら、数日前には正式な連絡が来るとは思います」
 準備だけはしておくかと、リシャールは算段を脳裏に描き始めた。

 幸いにして『ラ・レアル・ド・トリステイン』は護衛艦共々ゲルマニアへと向かったらしく、月末にはセルフィーユへと来るのはいつぞや乗った覚えのある戦列艦『クーローヌ』ともう一隻に決まったと連絡が入ってきた。
 早速フレンツヒェンを呼んで、手紙を前に意見を交換する。
 テューダー王家滅亡が目の前に迫り、トリステインも外交に本腰を入れ始めた様子で、アンリエッタ姫が自らゲルマニアへと向かった様子である。ゲルマニアはまだまだ価格を釣り上げたい様子で同盟の早期締結には難色を示していると、マザリーニからの書簡には近況が書かれてあった。
「王太女殿下自ら、直接交渉だそうですよ」
「交渉の成否はともかく、牽制にはなると思います。
 それに宣戦布告より先に、国交の樹立なり何なりがありましょう。そちらでも時間は稼げます」
 リシャールはトリステインに対し、ウェールズのことは表向きしか伝えていない。パリー卿から伝わっているのは、ニューカッスル陥落後に複数の影武者が各地に散り、『イーグル』か『イプスウィッチ』に座乗する本物の『ウェールズ』を密かに支援することだけだった。
 アンリエッタからは王政府の中枢に長年無視できない力を持ったまま巣喰っている悪虫がおり、何が筒抜けになっているか分かったものではないと聞いている。セルフィーユ独立の折、国内に噂が満ちるよりはやく他国から反応があったことを思い出せば、さもありなんと頷かざるを得なかった。
「トリステインにも密使は来ていると、手紙にはありましたね」
「はい。
 レコン・キスタも空中大陸の平定後、軍の再編に時間が必要なはずです。
 彼らが取る作戦の内容は横に置くとして、策源地と前線の距離が長くなればなるほど必要なフネや馬車の数は増えていくもの、トリステインを平定するとなれば補給面でもニューカッスル陥落直後というのは厳しいと考えられます。
 一般論で申し訳ありませんが、兵隊が糧食と水を必要とし、フネが弾薬と風石を必要とする以上、この法則からは逃れられぬものです」
 セルフィーユが先日まで行っていたような、一時しのぎにはなっても計画的とは決して言えない五月雨式の補給などでは、それに基づいて軍が作戦を立てることなど不可能だった。あの需品輸送はあくまでも員数外の援助であって、王党派本来の補給計画とは一切無縁のものである。
「したがいまして開戦に踏み込むのはその後……今年の春は準備が間に合わぬとして、一番可能性が高いのは今年の秋と来年の春、麦の種蒔き時か刈り入れ時が最も危ないと思います。
 人手がそちらに取られますからな」
「ロサイスの様子がわかればいいんでしょうけど、うちじゃ難しいでしょうね……」
「はい、航路はほぼ再開されておりますが、間者でなくとも我が国の者が使うわけにはいきますまい。目立ちすぎます。
 しかし自前でとなれば、送り込むにも定期的な連絡線の維持にも先日の『ドラゴン・デュ・テーレ』の往復と同様の手間が必要になります故、ここは小国らしく、トリステインを頼りにさせて貰うが無難かと」
 そのあたりだなと頷き、忙しいフレンツヒェンに時間を取らせたことを労って退出を許す。
 フレンツヒェンの見積もる約一年間の平和を準備期間に宛い、いかにその後の戦乱をやり過ごして次に繋げるか。
 セルフィーユが大戦争の役に立たないことは当初より織り込み済みであれ、だからと座して待つのは首を絞めるだけだ。のらりくらりと煙に巻くにしても、トリステインの後ろを金魚の糞のごとくついていくにしても、徹底すべきところは徹底し、緻密に、そして大胆に決断を下さねばならない。
 やれやれと椅子にもたれ掛かり、リシャールは目元を揉んだ。
「ほんと、象と蟻だ……。
 いや、竜とトカゲかな?」
 即位して僅か八ヶ月、目先のことから数年先まで、頭の痛くなるような問題ばかりがリシャールを取り囲んでいた。
 これほど力の差があると全ての努力が無駄に思えてくるし、逆に一つぐらいは見逃されるのではないかと儚い期待もしてしまいたくなる。
 対外的にはウェールズを亡命させようとして説得に失敗、落ち込んだ振りでもした方がいいかなと、リシャールはかぶりを振った。

 明けて第四の月フェオの月、既にキュルケとタバサは新学期に向けて一足先に学院へと戻り、セルフィーユでは『ドラゴン・デュ・テーレ』が出航の準備を整えて王妃と姫の乗船を待っていた。
「気を付けて……という程でもないけど、クロードやルイズたちにもよろしく」
「ええ、行って参ります」
「いってきまーす!」
 カトレアとマリーを見送るなどはじめてで、待つ方の心境はなかなか厄介だなと、普段は身軽に飛び回る自分を省みる。
「出航!
 錨上げ! もやい解け!」
 もちろんウェールズ……アンソンも乗ったままだが、完全に一航海士、上層砲甲板前部砲長としてのみ彼は扱われている。下手に接触するのもよくないので、何かある場合はラ・ラメーかビュシエールを通して連絡を付けることになっていた。
「まあ、及第点ですな」
「艦長から及第点を貰うのは、大変らしいですね」
「昔に比べてずいぶん甘くなったと自負しておりますぞ」
 リシャールの隣で、ラ・ラメーがフンと小さく鼻を鳴らした。
 マリーに手を振っている内に錨が巻き取られ帆が張られ、風石機関が出力を絞り出す音が微かに聞こえてくる。
「さて……いきますか」
「はい、陛下」
 リシャールもラ・ラメーも、のんびりとしていられるのはここまでだ。
 予定では明日、『クーローヌ』が一足先に到着することになっており、ラ・ラメーは招待艦受け入れ準備に、リシャールは艦長ら要人歓迎の手配に、それぞれ忙しくなっていた。








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