ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第五十三話「小国の外交」





 航路図を完全に無視して東に針路を取った『ドラゴン・デュ・テーレ』はレコン・キスタの包囲を無事に抜けて再び南に変針、トリステインのリールのやや東へと辿り着き、そのまま母港へと無事帰り着いた。
 到着してしまえば、外遊を隠すこともない。リシャールも堂々と下船して、指示を出していった。
「エルバート殿に使いを!
 それから、フネを下りた者にも宿舎の用意を頼みます」
 リシャールを筆頭に予定の人員を降ろすと『ドラゴン・デュ・テーレ』は補給を済ませ、パリー卿らと共にそのままトリスタニアへと向かった。
 アルビオンで乗艦したフードを目深に被った男達も、一人はこっそりアルビオン将兵と共にアリアンスに向かい、一人はフネに乗ったままトリスタニアへ、一人はいつの間にか消えている。彼らには彼らの『任務』があった。
「陛下!」
「宰相もこちらへ。
 取り急ぎ、エルバート殿とお会いしなくてはなりません」
「御意!」
 庁舎に戻るとフレンツヒェンを連れて執務室へと入り、急いだ様子で現れたエルバートを招き入れる。
「リシャール陛下、ニューカッスルは……!?」
「はい、現在の処はお二方ともご無事です」
「ありがとう、ございます」
 ジェームズ王からの最後の命令書を手渡し、彼が読み終えるのを待つ。
「ジェームズ陛下は各大使館を巡り、ニューカッスル陥落と同時に閉館するよう伝えよとお命じです。
 館員は現地にて埋伏し、時が満つるを待て、と……」
 現地を離れては復帰後に支障が出ると考えてのことか、命令にも投げ遣りなところはない。
「ジェームズ陛下並びにウェールズ皇太子殿下は、レコン・キスタに対し徹底抗戦するとご決断なさいました。
 アルビオン王国の終焉は時間の問題です。
 ですが……詳しくは申せませんが、ニューカッスルが落ちてもその先があります」
「……その先?」
「一つだけ申し上げておくならば……」
 息を呑む二人に、重々しく口にする。
「こちらはまだ、完全には負けていない、そういうことです」
 リシャールは計画の一端を少しだけ明かし、『ウェールズ』が今後、空賊に身をやつしてでもレコン・キスタと対峙し続ける予定だと二人に伝えた。

 三人での緊急会議という名の密談を終えるとリシャールは城に戻り、家族らとの再会を果たした。
「お帰りなさい、リシャール!」
「ただいま、カトレア。
 ……マリーは?」
「お昼寝の時間よ」
 じゃあ仕方ないかと寝顔で我慢して、アルビオン訪問の様子などを伝える。やはり二人に会わないことには、帰ってきた気がしない。
「そう、ジェームズ陛下は……」
「翻意していただくことは出来なかった。
 自らの身にけじめを付け、同時に時間を稼ぐ意味でも、ニューカッスルと運命を共にされるそうだよ」
「……。
 ウェールズ殿下は、どうされるの?」
「ウェールズは、とにかく諦めずに抵抗するのが仕事になる。
 今頃は……ぼさぼさのカツラを被って空賊稼業の準備か、フード付きのマントをつけてどこかの街に隠れ住む手配をしているか……」
 知っていれば探られようが、ウェールズの行方はこちらも知らないことになっている。トリスタニアに向かったパリー卿も影武者を複数用意して方々へ散らしたことは知っているが、彼にさえ本物の居場所は知らされていない。
「僕や他の誰かが居場所を知っていると、必ずそこから手繰られるはずだから、当人に任せることにしたんだ。
 だから当分は連絡の付けようもないし、それが彼を守る楯になる。
 ニューカッスルが陥ちた後はフリゲートに乗って空賊をすると思うけど、偽物も用意したよ。
 姿替えの魔法具を使って貰ったり、偽物の魔法具だけを持ってそれらしく振る舞うように指示したり……」
「じゃあ、どうやって本物のウェールズ様を見分けるのかしら?」
「落ち合う場所と表に出す時期だけは、決めてある。
 それ以外で現れたら偽物、だね」
 それまでは何があっても姿を現さないよう約束してあるんだと、リシャールは『嘘』をついた。
 次に彼がアルビオン皇太子として表に出る場所は、ロンディニウムである。アルビオン開放の諸国会議、その開催期間中の『三日目』以降と少し様子見もかねてずらしていた。
 どうしてもリシャールがウェールズの所在を明らかにしなければならない場合はそう口にすると、二人で決めている。
 ……無論、カトレアには何となく見抜かれていそうな気がして数日恐々としていたが、彼女は何も言わずそれを受け入れている。だったらそれでいいかと、リシャールは解決済みとして心の棚に書類を置いた。

 数日して『ドラゴン・デュ・テーレ』が帰投した頃には人々の混乱も収まり、アルビオンから新たに来た軍人達はアリアンスに、貴族層や従者達はエルバートの屋敷やセルフィーユ家に、それぞれ新しい生活の場を得た。
 文句の一つでも出てくるかと思っていたが、ロンディニウムからの逃避行であらゆる苦難があったのか、あるいはニューカッスルで未だ苦行を続けるジェームズ王らに遠慮しているのか、粛々としたものである。
 パリー卿はアンリエッタとマリアンヌに形見分けされた御物の管理人として、トリスタニアの王宮で新しい職を得た。但し、持ち込まれたのは高価な絵画や彫刻、宝石や魔法具などのみで、王錫、宝冠、宝殊などは現在もニューカッスルにあり、『イーグル』にて持ち出され改めて隠蔽される。あれらは王権の象徴であり、トリステインに譲渡すれば流石に言い訳が聞かなくなってしまうと誰もが知っていた。
 『アンソン』と名を変えたウェールズの方も、慣れない仕事ながら上手くやっているらしい。厨房の仕事からは早々に外され、今は平の航海士として砲員の一隊を率いているそうだ。
「うちもそろそろ、言い訳ぐらいは考えておいた方がいいのかな……」
 アルビオン王国……王党派は徹底抗戦するとは言っても、レコン・キスタが額面通りに受け取らず、実状を前に押し出してくる可能性もある。リシャールらはジェームズ王やウェールズの生存、テューダー家の存続を以てアルビオンは未だ滅ばずと認めているが、今の段階でさえ、王国は滅んだと宣言してしまっても事実と大して変わるわけではなかった。
 だからこそ……。
「陛下!
 レコン・キスタの密使とやらが到着しましたぞ!」
 どうやら、存在を無視されていなかったらしい。
 三色旗とともに公用使の旗を掲げ堂々とやってきたレコン・キスタのフリゲートに、空海軍も手旗信号をやり取りした後に攻撃を断念したと報告は続く。例え国交がない……一国として認めていない相手でも、軍使、公使を攻撃せぬという戦争の不文律を破っては、長期に渡って他国より嫌味の種にされかねない。
 招かれざる客のおかげで、またもいらぬ苦労をする羽目になりそうだった。

 使者の旗を掲げてやってきたフネを表だって攻撃するわけにもいかず、苦々しい思いと共に見ているであろう元アルビオン将兵らの激発を押さえるよう命じて、会談の準備を指示する。
「同じ来るならもう少し後かと思っていたのですが、宰相、どう見ます?」
「……公使ではなく密使、というのが気になりますな」
「既にニューカッスルは陥ちた、と?」
「時間の問題ではありましょうが、それとはまた別でございます。
 レコン・キスタは立国していない、そのことの方が重要ですな。
 口約束の言葉尻でも捉えようとしているのか、はたまた……」
 考え込むフレンツヒェンに、いっそ同席するようにと命じる。
 即位一年に満たない少年王の守り役としてなら、向こうも断れまい。
「どちらにせよ、招かれざる客はとっととお帰り戴く、これに限ります」
「ですねえ」
 手筈も何も決めていないが、フレンツヒェンの言うとおり、適度に見せ札をちらちらと晒しつつこの場は穏便にご帰国願うのがいい。
 それが一番、密使にもセルフィーユにも幸せであろう。
 とりあえずとエルバートにも連絡を入れ、リシャールも身支度を整えた。

「お待たせしました、密使殿。
 私がリシャールです。こちらは宰相のハイドフェルド男爵」
 新しく作った奥の応接室を人払いさせてそちらに向かえば、二人のアルビオン人がリシャールらを待っていた。
 遺恨のある相手でも、あるいは共和制を奉じて王制を否定していても、一応は跪くんだなあといらぬ感想を抱きつつ面を上げるよう口にすれば、一人は見知った顔である。
「陛下、私めは此度の密使を命じられました、ステイプルトン男爵オズウェルにございます。
 こちらはリッチモンド卿」
「……アーサー殿?」
「いつぞやは、お世話になりましてございます」
 かつてリッチモンド商会のアーサーを名乗っていた男は、功を認められアーサー・リッチモンドとして貴族に復したのだと、改めて名乗った。乗る馬を代えたのではなく、当初より革命に協力していたらしい。フネは違うが、今回は道案内としてこちらにやってきたと言う。
 引っかけられたのは間違いないだろうが、彼の関わったアルビオン航路の開設は一昨年に遡る。リシャールはますますレコン・キスタの根深さを思い知って、軽く渋面を作った。
「さて、御用向きは?」
「単刀直入に申し上げます。
 表向きは、我らレコン・キスタ改め神聖アルビオン共和国の建国に際し、国交樹立と友好条約締結のご提案を。
 裏を返しては、降伏をお勧めに参りました」
「はあ、それはまた……」
「ふむ……」
 得意げな顔のステイプルトン男爵に、これはまた一足飛びだなと二人で顔を見合わせる。フレンツヒェンは小さく肩をすくめ、リシャールは一つ頷いて続きを促した。
「無論、ただとは申しませぬ。
 ご領地の安泰と御家の存続は、数カ月を経ず皇帝となられる議長閣下の御名に於いて保証いたしましょう」
「……テューダー王家の王権を否定し反旗を翻した貴殿らレコン・キスタが、セルフィーユの王権を保証すると?」
 ステイプルトン男爵は、王国と王家、とは言わなかった。それにセルフィーユ家の存続とリシャールの生存は、等式で結ばれない。
「王権、ではありませぬな。領地の安泰と御家の存続、であります。
 それにて過去の遺恨は全て流しましょう。
 陛下には御退位戴き、改めて神聖アルビオン共和国より大公位を授けさせていただくことになります」
 恫喝外交としてはアルブレヒト三世の方が幾らかましかなと、リシャールはヴァルトブルク方式なる外交手法を思い出していた。……それにしてもこの御仁、口が良く回る。おまけに口調も軽かった。手練れの外交家かただのお調子者か、判断に困る。
「テューダー家も滅亡まで後わずか、乗るフネを間違えて共に沈み行くこともありますまい。
 聡明で知られるリシャール王なら、それぐらいの損得はこちらから申さずともおわかりでしょう」
 ありがとう男爵と、内心でほくそ笑む。
 ニューカッスルが陥ちた後に、使者が送られてきたのではなかった様子だ。
 ならばまだ、余計な理由を振りかざして云々する必要はない。
「損得について未だ答えを出しかねていますが、断った場合はどうなるのです?」
「さて、どうでしょうなあ。
 数百隻を越える我が革命艦隊、その一割でもセルフィーユを更地にするには十分ですぞ?」
 さあさあと降伏を勧めるステイプルトン男爵に、その自信は何処から出てくるのかと問いつめたくなる。……いや、勝ち戦に加えてこの戦力差、当たり前と言えば当たり前の構図か。
 しかしこちらも、国が無事ならそれでいいとは言い難い。
 形だけの降伏さえ受け入れるわけには行かないが、横っ面をはり倒すのも今はまだ時期が早かった。
「宰相」
「はい、陛下?」
「この件について、各国から連絡は来ていますか?」
「いいえ、何処からも未だありませぬ」
 知っていて聞くのもおかしなものだが、これも一つの演技である。
 フレンツヒェンに目配せをして、リシャールは思案顔を作って黙り込んだ。
「密使殿」
「……はい、宰相殿?」
「貴殿が、あるいはクロムウェル議長閣下が、どこまで我が国を取り巻く状況を知っておられるのか、各国への根回しは滞り無く済んでいるのか、それによってこちらの返答が変わります。
 そのことはご存じいらっしゃらないか?」
「なんと!?」
「……ふむ。
 そもそも状況をご理解なさっているのなら、降伏を勧告に来る使者など出されるはずもないのですが……。
 困りましたな」
 リシャールは目をまん丸に開いて大仰に驚いて見せ、フレンツヒェンは頭を抱える振りをした。
「密使殿、我が国がこの上ないほどの小国であることはご存じかとは思うが……」
「……ええ、はい」
「小国の国権などあって無きが如し、国内の統治はともかく外交権も怪しいところ。名分と実状は乖離しておるのです。
 レコン・キスタのみの都合によって貴殿が降伏の勧告に来られたのならば、例え一週間後に艦隊が破壊の限りを尽くすぞと言われても、我が国はああそうですかと返答するしかない。
 いくらそちらがご準備を調えられていたとて、ハーフェンからやって来るゲルマニア艦隊の方が余程到着が早いでしょうからな。
 しかしながらこちらが降伏し、平穏の内に貴殿らが艦隊や連隊を進軍させれば開戦必至。
 ガリアでさえ艦隊の配置には気を使うこのご時世、自国の国境に他勢力の艦隊が故なく居座っていてなお黙っているほど、アルブレヒト三世閣下は気の長いお人ではありませんぞ?」
「義息の恥になるならとトリステインの義父が一族郎党を率い、セルフィーユに攻め上がってくるのと、どちらが先でしょうね?」
「距離から言えば微妙なところですな……。
 ついでに申せば、こちらにはガリア王姪殿下の御生母様もご滞在中、これも問題になりましょう。
 それに我らが陛下は御即位に際し、ロマリアの教皇聖下よりお墨付きも頂戴していらっしゃる」
 うむと頷いて、リシャールは後を引き取った。
「要するに、貴兄らレコン・キスタよりのセルフィーユへの降伏『勧告』は、我が国の貴兄らへの抵抗と同様、ほぼ無意味なのですよ。
 選べるわけもありませんが、国が焼け野原にされると言うのなら三日後よりは一週間後の方がいい。セルフィーユには、そのぐらいの自由度しかないのです。
 事態の変化による降伏の『連絡』なら、それこそ白の国より距離の近いトリスタニアやヴィンドボナから届くでしょうし、艦隊を送りつけ実力で押さえようにも、それはそのままトリステインやゲルマニアと戦端が開かれることを意味します。
 大国同士が艦隊をぶつけ合うような状況で我が国に出来ることなどありはしませんから、やはり焼け野原になるか、無視されるか……どちらにしても、戦後、勝者の軍門に下る以外にありません。
 それでもなお降伏をと仰るなら、先にリュティスとトリスタニアとヴィンドボナをお巡りになって各国の利害を調整し、ジョゼフ一世陛下、アンリエッタ王太女殿下、アルブレヒト三世閣下の承諾書のついた降伏文書をご用意の上、こちらにご連絡頂きたいものです」
 さて、問題のすり替えには気付くかなと思いながら、客人二人を見やる。
「もちろん、こちらが返事を出来なかった事を理由に貴兄らの艦隊が来たとしても、国力差から言って防ぐ手だてはありません。
 その時は……」
「ほう、その時は?」
「降伏文書に調印しようにも、私がこの世にいない可能性の方が高いでしょうから、その時点での統治者か支配者に改めて話を通して下さい」
 本当にこの条件を満たして降伏文書の調達を成し遂げられたら、それこそ拍手喝采で迎えてやるかなと、リシャールは小さく溜息をついた。
「陛下、一つ、よろしいでしょうか?」
「はい、リッチモンド卿?」
「先日、大胆にもニューカッスルへとお渡りになられたそうですが……」
 目つきの鋭くなったアーサーに、そりゃあばれてるだろうなあと肩をすくめる。
「何をなさっておいでだったのです?」
「隠しても意味がないのでお話ししますが、最後のご挨拶と、後は……今後のことを相談してきました。
 セルフィーユには世を動かす程の力はありませんが、礼儀を無視するわけにはいきませんのでね」
「失礼ながら、今後のこととは?
 内容によっては、抗議させて貰うことになりかねませんが……」
「こちらに逃げてきた、空軍将兵のことですよ。
 ニューカッスル落城の連絡が入り次第、軍艦旗を降ろす代わりにセルフィーユへと正式に亡命させてやってくれと、直々にお言葉を賜りました。
 亡命がよろしくないというなら、どうぞ抗議なさってください。
 ですがセルフィーユとしては、亡命者の人数から言えばトリステイン、ガリアに次いで三番目の規模ですから、三番目ぐらいに抗議していただけると助かります」
 ひとまとまりの亡命者としてなら四百人は多い方だが、貴族が亡命するとその家族や家人がついていくことも少なくない。全体の人数なら、ロンディニウム陥落以降にスカボローを経由して大陸各地の親族知人を頼った者たちの方がずっと多かった。
 実際、セルフィーユへの亡命者は問題にすらならないだろうと、リシャールらは見ている。彼らの大半は平民で、フネはあれども政治力がない。
 亡命時に財産を持ち出していて傭兵を集められる力を持った諸侯の亡命者たちの方が、彼らには余程問題のはずだった。
 つまるところ、小国の外交とはこの程度のものなのである。








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